最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて pdfダウンロード

最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて

strong>本, ルオン・ウン

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によって ルオン・ウン
3.5 5つ星のうち4 人の読者
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商品説明 カンボジアの首都、プノンペン。ルオンは汁麺の匂いが漂い、オートバイや小型自動車の騒音があふれる活気のある街が大好きな、好奇心おう盛な少女だった。1975年4月17日、ルオンが5歳のとき、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを制圧、富と貧困の象徴とされた街は瞬く間に廃きょと化す。政府の高官を父に持つルオンの家族もプノンペンの家を追われ、素性を隠しながら強制労働キャンプで飢えと虐殺の恐怖におびえる日々を送る。しだいに家族は散り散りになり、ルオンは最愛の父、母、二人の姉妹を失うことになる…。本書はポル・ポトの恐怖政治下を生き抜き、10歳で難民としてアメリカに渡った少女の手記である。プノンペンからの移住を強いられたとき、著者はたったの5歳だった。それなのに彼女の周りで繰り広げられた虐殺、飢餓、レイプの描写は痛々しいまでに鮮やかだ。あまりにも過酷な時代を生きたため、ルオンの記憶はトラウマとなって彼女の脳裏に焼きついたのである。現在、著者は「ベトナム退役軍人アメリカ基金」のプログラム「地雷廃絶キャンペーン」のスポークス・パーソンとして、戦争終結後も人々の命を奪いつづけている地雷の廃絶活動をしている。生き残った自分に課せられた義務として、米国内外で地雷やポル・ポト時代のカンボジアについて講演をしている。積極的に活動することで家族を殺害されたトラウマを克服しようとする著者のたくましさは、本書で描かれている少女時代のルオンの姿からも、読み取ることができる。「デッド・マン・ウォーキング」の著者、シスター・ヘレン・プリジーンが「勇敢な少女兵士は私たちに大きな勇気を与えてくれます」と本書を賞賛しているように、生きるために過酷な運命と戦う幼いルオン姿に、感動を覚えない読者はいないだろう。(野澤淳子) 内容(「MARC」データベースより) ポル・ポト時代のカンボジアは、全土が血と涙にまみれた地獄だった。かつての楽園は独裁によって完全に失われた。愛と憎悪を胸に地獄の歴史を生き抜いた少女の、痛恨の思いに満ちた体験記。狂気の時代を証言する迫真の書。
最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えてを読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
私は大学でアジア学を専攻していたので、この本を手に取る前から、カンボジアで以前、どんなことが発生していたのかは大体、知っていました。ただ、この本を読むまで、どの様な事が具体的に行われていたか、想像はしていたものの、ここまでひどかったとは、衝撃でした。後期毛沢東主義、つまり、文化大革命時期の中国式共産主義を影響を強く受けた、残虐性むきだしのポルポト派政権下のカンボジア。そんなポルポト支配下の残虐な行為にも、衝撃を受けたのですけれど、私が最も衝撃を受けたのは、ポルポト派が去った後、村人による、残党へ報復行為です。具体的には、本の内容を公開してしまうし、あまりにも残虐なので、ここではあえて書きません。しかしながら、人間の尊厳、倫理、理性を考えた時、その行為は果たして、善なのか悪なのか、それともそのどちらでもないのかと考えさせられました。家族や親戚を無残にも虐殺された村人に、果たして、復讐の権利はあったのか、「行為」を思いとどまった人たちは果たして100%「倫理」的であったのか、そして、参加した人は倫理的ではなかったのか。それと止めようとする人はいたのか、いなかったのか。その後、その場に居た人たちは、どのようにこれを受け止めて生きているのだろうか。ポルポト派の残党にも、家族もいれば、愛する人もいたのではないだろうか。それとも、完全な「悪」だったのだろうか。いくつもの疑問が生まれました。そして、当時、若かった作者の心の中でも葛藤が生まれている所に、衝撃を受けました。芥川の「羅生門」という作品があります。国文学であり、フィクションではありますが、人間は極限状態の時、どんな事をするのか。人間の尊厳とは、なんなのだろうか。そういう点では共通するものがあったと思います。皆さんがどう思うのか、それを私は知りたいと思います。

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