医学教育概論 第4巻―医学生・看護学生に学び方を語る (現代社白鳳選書)ダウンロード

医学教育概論 第4巻―医学生・看護学生に学び方を語る (現代社白鳳選書)

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医学教育概論 第4巻―医学生・看護学生に学び方を語る (現代社白鳳選書)ダウンロード
によって 瀬江 千史
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医学教育概論 第4巻―医学生・看護学生に学び方を語る (現代社白鳳選書)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
待望の医学教育概論も、この巻を以って第二部「基礎医学の学び」編が終了し、次巻からは第三部「臨床医学の学び」編が始まります(刊行は何年後かというレベルですが!)。この巻で個人的に「おぉっ!」と唸ったのはタイトルの通り、「歪み」の過程的構造についてです。「病気とは外界との相互浸透のあり方が歪んだ事によって、正常な生理的構造が歪んだもの」という「病気」の定義は、口が酸っぱくなるほど南郷一門によって説かれて来ました。しかし私はその定義を読むたびに「歪みって何だ?」という疑問が頭を離れませんでした。それが今巻の内容で、霧が晴れるように明確になりました。具体的には第27課(2)の「(略)不健康な生活過程によって変調をきたし、衰え、そして機能レベルの歪みを生じ、ついには実体レベルの歪みをきたしたプロセスを(略)」という文章でした。これはつまり「歪みには過程(プロセス)がある。変調をきたし、衰え、さらには機能レベルの歪みから実体へと発展していくという過程である」ということです。神経症や精神病は南郷一門においては、まず「認識の歪み」として生じ、それが最終的に「脳細胞の実体的な歪み」へと発展するものであって、あらゆる精神病、神経症を全て実体的な原因に帰すというのは論理の踏み外しだという話は読んでいましたが、今巻を読むまでそれが病気一般論から導かれた論であるという関係には全く気付かなかった自分の不明に情けなくなりました。同じ内容の文章は今まで何度も読んでいたはずですが、今巻を読むまでその中身、意味に気付かなかったのは、看護にも医療にも携わってないし、興味本位で内容を追っているだけの自分の限界という物でしょうか。話を戻すと「生理構造の歪み」というものが一般的にそういう過程を経るものだとすると、癌や花粉症、リウマチや肩こり、風邪などが、「どういった機能の変調なのか衰えなのか、あるいは実体的な歪みにまで発展したものなのか」といった論理性で把握できる事に気付き、興奮を覚えました。今までは「病気は正常な生理構造の歪み」という文言を読むたびに「歪みって何だ?」で止まっていた状態から、一歩先へ進む事が出来た事に嬉しくなりました。それにしても、「歪み」という言葉一つにそういった過程性が内包されているという事に気付くと、他の文言にもそういった過程性(弁証法性)が内包されているのではないかと想像が及び、今までの自分の読み方がどれほど表面的だったのかと空恐ろしくなりました。今後も更なる科学的医学体系の構築を願うものです。(2015/12/27追記)学城13号において、この歪みの構造論が大きな展開を見せた。医学教育概論を読むような読者は勿論チェックしていると思うが、改めて、この偉大な業績に拍手を送りたい!(2018/06/04追記)医学教育概論1-6巻を改めて通読していて、気付いた点がある。第二部(3,4巻)から第三部(5,6巻)にかけて、繰り返される内容がある。それは「図5」を踏まえた上で、人間の内部構造に着目する事、そのために人間の「論理的な内部構造図」である「図6」と、人間を貫く三重構造の「図7」を重ね合わせる、という事だ。図5というのは、「人間は外界(社会的外界と自然的外界)と相互浸透しながら生きている。その人間が病み、また回復する事」をあらわしているのだが、どうにも私は「外界との相互浸透」と「人間の内部構造」の繋がりがピンと来なかった。ここにピンと来たのは、「学城」16号の「医学原論」講義(13)を読んだ時だ。そこには「甘い物を食べると、糖が増え、細胞が生きるに適した環境でなくなるので、膵臓がインスリンを分泌する事で内部環境の恒常性を維持しようとする」といった記述があった。つまり、「外界との相互浸透」と「人間の内部構造」の繋がりとはどういう事かというと、甘い物を食べたり激しい運動をしたり長時間同じ姿勢でじっとしていたりといった行動によって、人間の内部環境は常にかき乱されては整えられるという「内部環境の恒常性」の維持が絶えず起こっているという動的イメージなのだ。どうも今まで私は「内部構造」というとどうしても静的なイメージでとらえていたのだが、こうやって「内部環境の恒常性」という概念を元にダイナミックにイメージする事で、「外界との相互浸透」と「人間の内部構造」の繋がりが理解できるようになった。つまり、「あ、『外界との相互浸透から内部構造に目を向ける』というのはこういう論理なのか」という事がストンと腑に落ちたのだ。どうもこの4巻以降での記述は、そこの所の直接的な説明が不足していた、つまり、「外界との相互浸透によって、人間の内部環境は常に変化しては、それを元に戻そうと働いている」という説明が不足していたため、「よくわかんないけどそういう事なのか」という理解のまま、読み進めるしかなかったのだが、ようやっとそこが理解できた。そして「常態」とは、外部と相互浸透しながらもその内部環境を維持する実力があるという事であり、「病態」「生理構造の歪み」とは、外界と相互浸透しながら内部環境を維持する実力が維持できなくなっているという事だと理解した。言葉を変えると「外界との相互浸透をしながら生きているという事から内部構造の変化に着目する」とは「内部環境の恒常性」という概念を媒介する事で、そのつながりが理解できるようになったという事だ。それにしても「常に我々の説く論は深まって行っている」というのは南郷継正一門の合言葉みたいなものだが、今回医学教育概論と学城の「医学原論講義」、「新・医学教育概論」などを読み進めて、その文言が伊達ではないと実感させられた。

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